フリーダム・ライターズ/シンドラーのリスト/招かれざる客

ロス暴動直後のロサンゼルス、サウスセントラル地区にある公立高校が舞台。治安は悪く、人種の対立はもちろん学校内でも例外ではない。死と隣り合わせの日常、人種による文字通りの分断を生きている生徒たちは、学校での教育、そこからつながる未来に対してなんの期待も持っていない。そこに赴任してくるのが、ヒラリー・スワンク演じる新米教師、エリン。
教育的な映画だよ、とDVDを貸してくれた知り合いに言われたが、本当にその通りだった。現実はなかなかこんなにうまくはいかないのだろうけれど、希望が見える形で終わるので、救われる作品だと思う。
「人種」の対立が日常にどのように立ち現われてくるのか、あまり実体験のないわたしのような人間にとっては、生々しく描かれるギャングの抗争や高校のクラス内のグループ化などはとても衝撃だった。

これもいかにも辛そうなので見る気力がなかなか起きなかったのだが、貸してもらったのを機会に重い腰を上げた(結局、無理やり人を巻き込んで一緒に観てもらったけれど。そうじゃなきゃ、最後まで見通せなかった自信がある)

招かれざる客 [DVD]

招かれざる客 [DVD]

異人種間結婚の障壁の高さを描いている作品。

ボーイズ・ドント・クライ



筋書きをいろんな人から聞いて、まったく見る気がしなかったのだけれど、ついに見た。この前授業で見た「ウーマン・ラブ・ウーマン」のクロエ・セヴィニーがかっこよすぎたので、この人を違う作品でも見ようと思い検索していたらボーイズドントクライにも出てるとの事だったので、しぶしぶ…。で、見始めてはみたものの、結末を知っているせいか序盤から辛くて辛くてまともに見れず。15分ずつぐらいのぶつ切りでなんとか全部見終えた。

ヒラリー・スワンクはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞しているが、とても納得のいく存在感。モデルになっているティーナ・ブランドンは、実際に地元で女の子たちからとても人気があったらしいけれど、ヒラリー・スワンク演じるブランドンもなんともいえない透明感というか、人を惹きつける魅力(性的な魅力ではなく)が漂っていた。もちろん、典型的な「男」ジェンダーに乗ることで男になろうとしているので、言動は基本的にはマッチョなのだけれど…。クロエ・セヴィニー演じるラナの在り方も、なかなかステキ。まわりの男連中や母親が、ブランドンの正体を知った瞬間に異物扱いでまったく受け入れられないのに対して、自然にブランドンを「彼」と呼び、受け入れる。
しかし、ラナがブランドンに惹かれたのって、ジョンをはじめとする周りの男連中にはない、やわらかさみたいなもので、それってやっぱり女ジェンダーに起因するものだという描き方なのかな~。確か佐伯先生の「男装と女装の文化史」ではそういう分析だったような。

まー、作品全体を通じて、見ていて辛いシーンが多く、もう二度と見たくないというのが正直な感想で、これが現実にあった事件がベースであることを考えると、本当に救いがなくやりきれない。現在だって、トランスジェンダーが受け入れられないような地域はまだまだあるわけで、ああやってリンチやレイプという形で「治療」しようとされることだって起こっているわけで、そういう現実とリンクさせると本当に陰鬱とした気持ちになってしまった。
男女という制度の根の張り具合と、その制度に乗れなかったときの世間からのバッシングがどれだけひどいかということをえぐいまでに描いているという意味では、意味のある作品なんだろう。

ジェンダー研究のススメ。

上野千鶴子の講演を聞きに行った。上野さんの話を聞くのは、初めて。タイトルは、「ジェンダー研究のススメ」。女性学以前は学問は基本的に「男性の」学問であったこと、男女雇用機会均等法の裏でパートタイム労働法の制定、労働基準法の改定(女性労働を男性並みとするのを可能とした)が行われたために、男女の賃金格差は小さくならないこと、コース別人事によってそもそものライフコースが分離させられ女性の非正規化が進んだこと、など知っている話が多かったが、あれだけこのトピックをわかりやすくおもしろく話す人はあんまりいないなという気がした。
わたしの大学での講演で、上野さんも学生向けに準備をしたのだろうという内容だったけれど、公開講座だったためか、客席は高齢層ばっかり。みんなもっと聞きにきたらいいのに。東大女子(京大女子)は、仕事での成功に加えて、女としての成功(結婚、妊娠、出産)も求められて大変だよねえ、という言葉は、ちょっと泣けた。階層としては上のほうにいるし、比較的恵まれた状況にいる、と自分では思っているけど、やっぱりつらいものはつらいわけで、そこ、ストレートに大変だよねと言ってもらえたことってなんだかんだあまりない気がして。女性の分断ということを考えさせられる瞬間だった。

ただ気になったのは、質問タイムで性産業に従事している女性に関するものが出て(こういうジェンダー系の講演会に必ずいる、女性の貞操とか言いたがる系のオジサンからの謎質問)、そこで上野さんがしきりに「風俗業につきたくてつくひとはいない」「経済的に困っているからこそあのような職業に就く」というような主旨のことを述べていたこと。さすがに、えーっ、まじでそれ言っちゃう、という感じで最後にちょっと萎えた。

上野さんが「男」「女」という性別二元カテゴリーを強化、もしくはその意味を問わない形で論理を展開するのは、女性差別が根強い日本の社会において、その女性差別を克服するためにはまず「女」カテゴリーに対する様々な抑圧をなくすということが念頭に置かれているからなのだろう。戦略的にそれを行っていることはよくわかるが、クィアなコミュニティにしばらくいたわたしにとっては、やっぱり「男」「女」という言葉を但し書きを付けることなく使うということは、ちょっと時代遅れな感じがしてしまった。

NO STRINGS ATTACHED



この邦題、なんとかならんかったのか。ひどすぎる。

久々に映画でも見ようかと思い、映画好きの人のブログをぼんやーりと眺めていたところ、超絶カワイイナタリー・ポートマンが目に入ったため、借りて来てみました。
ナタリーの裸体はほとんど披露されることはなかったのが残念だけど、キュートな笑顔は堪能できたし、だらっとした格好してても、起こってわめいてても可愛い。やっと自分の気持ちに気づいてモーションをかけたのに結局フラれて、運転しながら泣いてドーナツやけ食いしてるところが一番きゅんとした。
ただ、ストーリーとしては、セフレなんて結局無理で、体だけの関係とか言ってそれは意地張ってるだけなんでしょ、素直になればうまくいくのよ!という説教をされているかのような筋書きで、特に何かおもしろいところもなかった。
ただ、アシュトン・カッチャー演じるアダムの、おバカっぷりはなかなかおもしろい。あー、いるいるこういう男!みたいな気分になる。一番のツボは、生理痛でダウナーなエマのために「子宮ヒーリング」と題したコンピレーションCDをわざわざ作ってお見舞いにやってきたシーン。何も間違ったことはしていないんだけど、なんかズレてる。そのズレっぷりが絶妙にきもちわるくって笑えてしまった。

ウーマン ラブ ウーマン

ウーマンラブウーマン [DVD]

ウーマンラブウーマン [DVD]



三部構成のうち、二部までしか見ていないけれどメモ書き。
二部がとても印象的だった。ウーマンリブ勃興時のアメリカの女子大生たちを映像化すると、こんな風になるんだなと。主人公リンダはレズビアンでフェムの女子大生で、同じくビアンの友達3人とシェアハウスをしている。学校ではリブ/フェミニズムの活動にも先導して取り組んでいるが、ある日レズビアンがいることが理由でリブのグループの活動停止が言い渡され、グループからは「まずは男女平等を目指し、そのあとにレズビアンの問題を」と排除された上に後回しにすることを公言される。
怒りと悲しみに任せて行ったビアンバーには、ブッチのビアンがたくさん。そこでダイクのエイミーと恋に落ちる。ヒッピー系のリンダも可愛いけど、もーエイミーがかっこよすぎるのなんのって、授業中胸の高鳴りが抑えられませんでしたw
シェアしている友人たち(レズビアンフェミニスト)たちが、エイミーの「男らしい」格好、振舞いを非難し、「性役割をなくそうとしているところなのに、男の恰好をしているあいつが好きなのか」とリンダを攻め立てる。あなたは自分を受け入れてる、わたしもそうなりたいと、頭でレズビアンフェミニズムをするのではなくちゃんと考えて行こうとするリンダの姿がとっても好印象だった。

いくつかメモ

▼ポピュラーカルチャーの中で、男性→女性、女性→男性の異性装が行われる時の話。女性→男性は、家族(特に父や兄、弟などの男性成員)のために異性装を行う場合が多い。戦闘に行くこととセット。また、同性愛は起こらない。かならず戻ってきて女性に返り、男性と結ばれる。また、異性装をしている間、かならずそれをサポートする味方(男性性)がいる。オスカルにとってのアンドレ、ムーランにとってのムッシュサファイアにとってのチンク、というような。

▼「噂の2人(Children's Hour)」という映画をみた。オードリー・ヘプバーンシャーリー・マクレーンという有名女優二人が主演を張っている。オードリーの美しさはすごいけど、わたしはマクレーンのほうがタイプ。てっきり2人ともお互いに思いあっているのかと思いきや、そこは不確か。マクレーン演じるマーサのほうは自分の気持ちにはっきりと気が付き、絶望して自殺。救われなさすぎ。オードリーのほうは、男性医師と婚約をしているんだけれど、最後の終わり方をみるに、その医師と結ばれるわけでもなさそう。同性同士の関係って、可視化される前はあれぐらい不確かなものなんだろうな(自分だって、同性同士の恋愛が「アリ」だと思いもしなかった中学生のころはあんな感じだったもの)。そして、最後のマーサのお葬式のシーンでは、きりっとした顔をして歩いて出て行くのが印象的。
本筋以外では、子役のメアリーの圧倒的なふてぶてしい演技がすごかったのと、マーサのセリフ「触れられるとたまらないの」という字幕が妙に頭に残っている…もとの英語のセリフはなんだったのだろうか。「キスをした」という嘘の噂だけで経営していた学校がつぶされるというストーリーのなかで、そのセリフだけが身体接触に直に言及しているせいか、なんだか浮いて見えた。