女性アイドルを応援するということはつまり

わたしの好きなアイドルのJuice=Juiceさゆきがグループを脱退することになった。juiceはダンスのスキルもだけど歌が本当に良くて、たくさん曲を聴いて励まされてきた。その中でもさゆきは歌で抜きん出た才能があって、今後の活動も含めて楽しみだなぁと(ほぼ茶の間だけど)デビューからずっと見てきたので、めちゃくちゃショック。熱愛なんかはどうでもよくて、このタイミングで本人や周りの意に反してグループを抜けてしまうということが衝撃で悲しくて。もっとjuiceで輝くさゆきを見ていたかったなぁ。大学時代に京都のCOCON烏丸であったシングル発売記念のイベントでは握手もした。ライブも何回も行った。ゆかにゃの卒コンはライブビューイングも行った。一回一回に思い出があって、もちろんどこでもさゆきのパフォーマンスは100%でかっこよかった。

こうなると女性アイドルを応援するってつまりどういうことなのだろうと、昔からわたしのなかにある、でも考えないようにしてきた問いが再燃する。つまり女性アイドルの何にわたしは(社会は)魅力を感じ、熱中し、金銭を投じるのかということ。そこに今回の脱退に結びつく要素がある。女性アイドル市場がどういう土台の上に成り立っているのかということ。その土台が変わらなければ今後もこういうことは起きるんだよなと思う。

一つはファンとアイドルの疑似恋愛に似た何か。ファンがアイドルを「好きになる」。どんどんスキルを上げて魅力的なアイドルになっていく過程に金銭を投じる。自分の応援のおかげでアイドルがどんどん魅力的になっていくということにファンは満足感を感じる。

ストーリー(物語)性。目標を掲げてそれに向けて努力し、その過程で色々なドラマがある。メンバーの加入や脱退、怪我、今回のコロナのような偶発的な出来事が涙を誘ったりする。ドラマを生み出すためにメンバーの加入や脱退、(ハロにはないけど)総選挙のようなイベントがあると言ってもいいかもしれない。

アイドルの「人間性」が問われる。雑誌などの媒体での取材に対する回答や、ブログやinstagramといったメディアでの発言も含めて。わたしたちはアイドルがどんな人間なのかをいろんな媒体から吸収して想像する。想像して感情移入し、応援するエネルギーを生み出す。「推し、燃ゆ」では「解釈」と表現されていたもの。

アイドルはすなわち「偶像」であり、ある種のイメージ、神格化だ。アイドルとして公式に掲げる「夢」に反する(可能性のある)恋愛は、わたしたちと隔絶された世界の神であるアイドルを一般人のレベルに引き下げてしまう。その時、ファンは応援する熱量を大幅に失ってしまう?だから恋愛はダメ、なのか。

わたしには、確かに「物語性」は好きだけど、恋愛感情はないし、神格化しているという実感はあまりない。ただ圧倒的な才能みたいなものには確かに惹かれるし、崇拝したいという気持ちにはなる。さゆきの歌もそんな突き抜けた才能だからこそ知らず知らずのうちに追っていたんだと思う。

新しいアイドル像が作られない限り、さゆきのような出来事は今後も起きるのだという結論ですが、これだけアイドルと言われるジャンルが膨張しているので、在り方はもっと多様であってもいいのではないかなと思う。恋愛が、アイドルとしてのイメージの一部を壊すとしても、それを補って余りある、というか余裕で超えていく才能があるのだから。

わたしは(モーニング娘。のメンバー)小田さくらが書いたブログの内容にもとても共感できたし、アイドル自身もそう思っている、葛藤を抱えているのだという事実を開陳してくれた小田ちゃんに敬意を評したい。 

 アーティストとアイドルの境界線は何なのだろう。アイドルの固有性って何なのか。次考えるのはそこかな。。