アフガン零年/ベッカムに恋して

アフガン零年 [DVD]

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ベッカムに恋して [DVD]

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海角七号 君思う、国境の南

海角七号/君想う、国境の南 [DVD]

海角七号/君想う、国境の南 [DVD]



音楽がとっても良く、台湾の雰囲気が味わえるし、バンドを通じて色んなメンバーの思いが垣間見え、重なり合っていく感じはいかにも映画という感じで胸が高鳴る。

台湾と日本の関係性を知らなければ、物語のキーである海角七号のエピソードは理解しづらいのかもしれない。
手紙の書き手の男性のくどくどしさがわたしにはかなりいらっときた。日本占領期に台湾へやってきた書き手の男性は、台湾の女性と恋に落ちて一緒に日本へ戻ることを約束するが、結局自分だけ日本へ逃げ帰る。それはラブレターでどう言い訳しようと、二重の植民地支配でしかなかったのではないか。
シングルマザーが、日本人にひどいことをされたと打ち明ける会話がある。このエピソードは伏線のようで、結局回収されないんだけれど、台湾の人々の日本に対する複雑な感情が垣間見えるエピソードだ。おそらくシングルマザーの女性は、日本人の男性との間に子どもを作ったが男性の方は日本に家庭があったとかなんかで、ふたりを置いてどこかへ行ってしまったんだろうというのが容易に想像できるだけに、胸に嫌なものを残す一言だなと思う。

最後の最後に身も蓋もないことを書くんだけれど、実はヒロインのひとの顔が、まったく好みじゃなくて、見ているのがつらかった。全然お互いの事も見てないし気にしてもなさそうだったメインの二人が突然イイ雰囲気になるところが謎すぎて思わず吹く。一番盛り上がるシーンに入れこめないのはほんと残念だよなー…

フリーダム・ライターズ/シンドラーのリスト/招かれざる客

ロス暴動直後のロサンゼルス、サウスセントラル地区にある公立高校が舞台。治安は悪く、人種の対立はもちろん学校内でも例外ではない。死と隣り合わせの日常、人種による文字通りの分断を生きている生徒たちは、学校での教育、そこからつながる未来に対してなんの期待も持っていない。そこに赴任してくるのが、ヒラリー・スワンク演じる新米教師、エリン。
教育的な映画だよ、とDVDを貸してくれた知り合いに言われたが、本当にその通りだった。現実はなかなかこんなにうまくはいかないのだろうけれど、希望が見える形で終わるので、救われる作品だと思う。
「人種」の対立が日常にどのように立ち現われてくるのか、あまり実体験のないわたしのような人間にとっては、生々しく描かれるギャングの抗争や高校のクラス内のグループ化などはとても衝撃だった。

これもいかにも辛そうなので見る気力がなかなか起きなかったのだが、貸してもらったのを機会に重い腰を上げた(結局、無理やり人を巻き込んで一緒に観てもらったけれど。そうじゃなきゃ、最後まで見通せなかった自信がある)

招かれざる客 [DVD]

招かれざる客 [DVD]

異人種間結婚の障壁の高さを描いている作品。

「混血」を巡る問題/デートDVと被害者-加害者対話

色々とメモしておきたいことがあるのだけど、どんどん頭から抜けて行ってしまう…忘れないうちに、言語化できるものだけでもメモを。

・センサスにおいて、Mixed raceの人々をどう分類するか問題。Multiracialをめぐる問題。

ボーイズ・ドント・クライ



筋書きをいろんな人から聞いて、まったく見る気がしなかったのだけれど、ついに見た。この前授業で見た「ウーマン・ラブ・ウーマン」のクロエ・セヴィニーがかっこよすぎたので、この人を違う作品でも見ようと思い検索していたらボーイズドントクライにも出てるとの事だったので、しぶしぶ…。で、見始めてはみたものの、結末を知っているせいか序盤から辛くて辛くてまともに見れず。15分ずつぐらいのぶつ切りでなんとか全部見終えた。

ヒラリー・スワンクはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞しているが、とても納得のいく存在感。モデルになっているティーナ・ブランドンは、実際に地元で女の子たちからとても人気があったらしいけれど、ヒラリー・スワンク演じるブランドンもなんともいえない透明感というか、人を惹きつける魅力(性的な魅力ではなく)が漂っていた。もちろん、典型的な「男」ジェンダーに乗ることで男になろうとしているので、言動は基本的にはマッチョなのだけれど…。クロエ・セヴィニー演じるラナの在り方も、なかなかステキ。まわりの男連中や母親が、ブランドンの正体を知った瞬間に異物扱いでまったく受け入れられないのに対して、自然にブランドンを「彼」と呼び、受け入れる。
しかし、ラナがブランドンに惹かれたのって、ジョンをはじめとする周りの男連中にはない、やわらかさみたいなもので、それってやっぱり女ジェンダーに起因するものだという描き方なのかな~。確か佐伯先生の「男装と女装の文化史」ではそういう分析だったような。

まー、作品全体を通じて、見ていて辛いシーンが多く、もう二度と見たくないというのが正直な感想で、これが現実にあった事件がベースであることを考えると、本当に救いがなくやりきれない。現在だって、トランスジェンダーが受け入れられないような地域はまだまだあるわけで、ああやってリンチやレイプという形で「治療」しようとされることだって起こっているわけで、そういう現実とリンクさせると本当に陰鬱とした気持ちになってしまった。
男女という制度の根の張り具合と、その制度に乗れなかったときの世間からのバッシングがどれだけひどいかということをえぐいまでに描いているという意味では、意味のある作品なんだろう。

ジェンダー研究のススメ。

上野千鶴子の講演を聞きに行った。上野さんの話を聞くのは、初めて。タイトルは、「ジェンダー研究のススメ」。女性学以前は学問は基本的に「男性の」学問であったこと、男女雇用機会均等法の裏でパートタイム労働法の制定、労働基準法の改定(女性労働を男性並みとするのを可能とした)が行われたために、男女の賃金格差は小さくならないこと、コース別人事によってそもそものライフコースが分離させられ女性の非正規化が進んだこと、など知っている話が多かったが、あれだけこのトピックをわかりやすくおもしろく話す人はあんまりいないなという気がした。
わたしの大学での講演で、上野さんも学生向けに準備をしたのだろうという内容だったけれど、公開講座だったためか、客席は高齢層ばっかり。みんなもっと聞きにきたらいいのに。東大女子(京大女子)は、仕事での成功に加えて、女としての成功(結婚、妊娠、出産)も求められて大変だよねえ、という言葉は、ちょっと泣けた。階層としては上のほうにいるし、比較的恵まれた状況にいる、と自分では思っているけど、やっぱりつらいものはつらいわけで、そこ、ストレートに大変だよねと言ってもらえたことってなんだかんだあまりない気がして。女性の分断ということを考えさせられる瞬間だった。

ただ気になったのは、質問タイムで性産業に従事している女性に関するものが出て(こういうジェンダー系の講演会に必ずいる、女性の貞操とか言いたがる系のオジサンからの謎質問)、そこで上野さんがしきりに「風俗業につきたくてつくひとはいない」「経済的に困っているからこそあのような職業に就く」というような主旨のことを述べていたこと。さすがに、えーっ、まじでそれ言っちゃう、という感じで最後にちょっと萎えた。

上野さんが「男」「女」という性別二元カテゴリーを強化、もしくはその意味を問わない形で論理を展開するのは、女性差別が根強い日本の社会において、その女性差別を克服するためにはまず「女」カテゴリーに対する様々な抑圧をなくすということが念頭に置かれているからなのだろう。戦略的にそれを行っていることはよくわかるが、クィアなコミュニティにしばらくいたわたしにとっては、やっぱり「男」「女」という言葉を但し書きを付けることなく使うということは、ちょっと時代遅れな感じがしてしまった。