Buzzing noise.

散らかった頭の中をさらに書き散らかしています

感情の制御

仕事のことやパートナーのことなど、今後どうしていきたいのかを考えていると、気分が落ち込んでしまい涙が出たり苛立ったりすることがここ数ヶ月続いている。自分の力だけではどうにもならないままならなさもあるし、仕事の異動のことなんて今考えてもどうにもならないのに、頭の中で「もしこうだったら」という分岐していく選択肢を際限なく考え続けて、苦しくて吐きそうになる。

就職してからの数年は、仕事に慣れるのに精一杯だったし、仕事に慣れるという大きな目標に向かって着実に進めているという実感があったからある意味では精神的に安定していたのかもしれない。お付き合いしている人との関係も、遠距離でこの数年は過ごすという合意ができていたので迷いもなかった。今振り返るとそう思う。

仕事を始めて4年が経って、次の目標が何か欲しいんだけれど定まらないし、周りに期待されるほど仕事できてないんじゃないかというコンプレックスのような、自分を卑下する感情がいつまで経っても消えなくて、仕事の内容はずっと変わってないのに単なるルーティンワークすら苦痛に感じる。

遠距離を解消して彼と一緒に住むには、わたしが仕事を変えるしかないのだけれど、それをしようという情熱も気力も今となってはない。いったいいつ、なくなってしまったんだろう。仕事を始めて少しずつ、わたしが変わってしまった証なのか。

自分の感情をコントロールすることがこんなにも困難だったなんて、と今更そんなことを思う。この苦しさは大なり小なり、死ぬまで続くんだと思うと果てしないなあ…。

 

 

人を育てるということについての雑感

今年から社会人になった妹と話していて思う、人を育てるって難しいのねという話。

妹との会話の中で頻繁に話題に上がる、妹の職場の新人指導役の先輩がいる。2年目の先輩らしいんだけど、「社会人としての自覚が足りない」とか1年目の子たちを集めてキレたという。2年目でそんなこと説教できるのすごいよなと…。そして感情的に怒るってあとで恥ずかしくならないんだろうか。

そして「あと数ヶ月経ったら、分からないことがあっても絶対に聞けない雰囲気になるから今のうちに完璧にするように」と言い放ったというけれど、一体その雰囲気を醸し出すのは誰なんだろうね。引っかかることがあっても聞けない雰囲気って、重大なミスを犯す確率をあげる、そしてミスがあっても隠蔽する風土を作ることにつながるから何にもいいことがないと思うんだけど。そういう考えが共有できない人もけっこういるんだなーと妹の話を聞いてて思う。

わたしの職場では一人の新人に対して一人の先輩がサポート役として必ず充てがわれる制度があるけど、そこの2人の関係性が上手くいっている割合はたぶん50%ぐらいだろうか。結局のところ、人には得意不得意があるので、いかに優れた人であってもマンツーマンで人を育てるなんて無理。職場全体で人を育てようという雰囲気の醸成が大事なんじゃないかなー。とか薄っぺらなことばかり書いてる気がしてきたw

 

 

からくりからくさ

 

からくりからくさ (新潮文庫)

からくりからくさ (新潮文庫)

 

 最近、数年前に読んだ本を読み直すキャンペーンを一人でしていて、久しぶりに読んだ本。初読は中学生ぐらいか?大学の時にも何度か読んでいて、たぶん3年ぶりぐらいに読んだ。梨木さんの作品の中でも好きな本。

自分が年齢を重ねたからだろうけど、印象に残る部分がだんだん変わってきてるのが分かって、面白い。今回は紀久さんの「地の底のようなくらいどこかの場所で、身をかがめてこちらを窺っている何かの気配」とか表現されているどろどろした感情、蓋を開けたら際限なく出てきてしまいそうな自分の中のどす黒い何かの存在が、なんか分かるなと初めて感じた。最近自分が似たような感情の渦の中にいるからだと思う。この年齢になるまで知らなかった自分の中の一部。女というカテゴリーと安易に結びつけては語れないもの。

シェアハウスしている4人のうち3人は、染色や織物に関連する研究をしたり仕事をしているんだけど、芸術に関連することを生業にして生きようとする、そういう選択をうらやましく感じたのも初めてかもしれない。自分が惹かれるものを研究対象にして打ち込めることにジェラシーを感じたり。

紀久さんの織り子に関する原稿を、男性権威が横取りしようとする話に憤りを感じるのも、こういうことが現実によく起きるってことを身を以て知った今だからこそ、腹がたつし、一緒に戦ったり憤慨したりしてくれる与希子さんや蓉子さんの存在を頼もしく思ったりもして。

いいタイミングで読み直せた気がする。自分が今気にかかってることが読書を通じて現れてくる感覚が良かった。

しかし、この本を読んで織物をやりたいとか思う自分はつくづくミーハーな人間だと思うのでした…

ラジオ・コバニ

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瓦礫を重機で動かした間から無造作に飛び出る遺体の腕や足。それを言葉なくじっと見つめる子どもや住人たち。美しい街が破壊され、色のなくなった風景。街を守るために女性も武器を持って闘う。撃った相手(IS側)は小さな子どもの兵士だったことを撃った後に気づき、忘れられないと語るコバニの元兵士は、陰鬱な表情をしている。戦争に勝者などいないというディロバンの言葉が重い。可愛らしいポスターだけど、中身は辛く深刻だ。街の復興がはじまり、ラジオから流れるディロバンの優しい語りかけや音楽に少しは救われるんだけれど。シリア内戦の悲惨さを今ようやく知った映画だった。

君の名前で僕を呼んで

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久々に2回観に行った映画。「女の子ものがたり」以来かな。

舞台は1980年代、北イタリアのどこか。主人公のエリオ一家はインテリ貴族って感じ。あんな夏の過ごし方を一生に一度でいいからしてみたいと日本に生まれ育った人は思うんじゃないかなあ。エリオは17歳なんだけど何ヶ国語もしゃべるし歴史は詳しいしピアノ弾くし編曲するし、知性と教養のかたまり。なのにあんまり自信なさげで内気な感じなのがまたかわいくて、魅力的でもある。

一緒に夏を過ごすうちにエリオはオリバーのことを好きになるという筋書きで、カテゴリー的にはゲイ映画になるのかもしれないけど、同性を好きになってしまった、どうしようという葛藤はエリオ側には全くない。ただ純粋にオリバーに惹かれ近づきたいと願う。エリオのパパママがすごく進歩的で理解があるのがまたいい。特にママ、めっちゃ美人でセクシー。いわゆる悪役が誰もいない映画だなあと思う。

音楽と映像が美しくてぎゅっと胸を締め付ける。ぎこちなく絡み合う視線、核心にふれない言葉のやりとり、相手に触れた時の喜び。二人で過ごす時間が濃密で苦しいほど幸せで、幸せであればあるほど別れの時には心が壊れてしまいそうに痛む。2時間の中で、恋愛の一通りの感情を蘇らせてくれる感じがした。何よりもエンドロールのエリオの表情の演技が圧巻。

エリオのパパのセリフは少し長い感じもしたけど、この映画のメッセージを集約した感じかな。

サントラと原作をKindleで買っちゃった。英語はわかりやすい感じなので、頑張って読みきれるといいな。

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最近観た映画とか、小説の実写化とか

www.sato-eeyan.com

今自分が生活困窮している人々と関わっていて思うことだけど、こういう場所があるって本当に救われることだ。でも、これを続けていくことがどれだけ大変で難しいか…。

子どもたちの居場所を作るために、わたしは何ができるのだろうか。

 

www.moviola.jp

ものすごく疲れている時に観に行ったら、途中寝てしまった。とにかく自然が雄大で、人間がちっぽけなんだけど一生懸命で、今自分が生きているしがらみだらけの社会とは別世界。 

 

narratage.com

わたしは嵐ファンだけど、ナラタージュの葉山先生は、潤くんじゃないよ。。なぜそうなった。潤くんじゃないんだよ…。

この本、初読は中学生ぐらいの時なんだけど、今となっては主人公・泉の歳も越えてしまったことに気づいて愕然とした。葉山先生の身勝手さも、柚子ちゃんの自死の理由も、今になって想像できるようになった気がする。でも想像できるようになったからと言って全然嬉しくなくて、大人になるって悲しいなあという気持ちになる。

被災地に行っても女は役に立たないのか

熊本での地震の報道に日々胸を痛めています。即座に動けるような行動力も体力も持ち合わせていないけれど、自分のできることをやっていきたい。

 

さて、わたしは上記のお題に関して自分に起こった出来事にかなりショックを受けています。

わたしの職場から被災地の避難所に職員を順番に派遣するようです。ようです、というのは、わたしには直接話が来なかったからはっきりした情報は聞けていないからこういう表現になっているのだが…。

男性職員だけが別室へまとめて呼び出され、被災地に誰か行かないか?という話がされたみたいです。募集要項を後でちらっと見せてもらったところ、要件は「勤続1年以上で車が運転できる」ということだけでした。

男性職員たちが呼び出されて話があったあと戻ってきて、誰が行くか、特別手当がつくんじゃないかという話題で盛り上がっていました。女性職員が呼ばれなかったのは、ある人が言うには「力仕事もあるし女性はちょっと難しいだろうということで」、男性だけが呼ばれたと。

わたしは正直言って、かなりショックを受けました。誰が女性職員を対象から外すという決定したかはよく分からないけれど、職場の雰囲気としてみんながそれに納得してる感じなのが意味がわからなかった。

確かに、業務内容は物資の移送とは書いてあったけれど、物資の移送は皆で協力してやることで、女性は力が弱いから要らないと短絡的に決定できるものなのか。

わたしは「女性ならではの視点」という言い方は嫌いだけど、被災地では女性やマイノリティに対する配慮が普段以上に求められると思う。女性の身体を持っている人や、女性として日々生きている人こそできる支援もあるはずだ。

わたしには、この出来事は、男性社会が女性全般を庇護すべき立場に固定し、女性が能力を発揮する場を奪い、経験を積む機会を奪う、分かりやすい例に思える。

初期段階の応援派遣だから、力仕事が中心で体力のある人が必要というなら、そのように女性職員含めた皆に説明してほしかった。最終的に誰を派遣するか決めるのは上の人たちだとしても、手を挙げる権利ぐらいは平等に与えられてもいいのではないか?最初から何の説明もされずに排除されるって、おかしいと思うなあ。

 

わたしは同期の男子たちが、被災地派遣に手を挙げるかどうか盛り上がってるのを見て、正直悔しかったし悲しかった。なぜ自分が女だというだけでそこの輪に入れないのだろうと思う。

 

男性だけが前線に行って女性は後方支援で、ってまるで戦争じゃんね。

 

という話を帰宅して母親に話したのだけど、思いっきり批判されてしまいさらに悲しくなった。女性はどうしても体力面では劣るし、トイレとか着替えとか気を使うことも多いし、雑魚寝だと男性たちが気を使って休まらないかもしれないし(???)、生理用品とか女性特有の荷物も増えるしそういうことを考慮の上で、うちの職場の上層部は女子を排除したんじゃないかと。そういう「気遣い」を、「女性をなめてる」という視点から批判的にしか見れないわたしって偏り過ぎでおかしいんだって。もう少し状況が落ち着いてくれば、女性が能力を発揮できる場面も増えてくるはずだからそういう募集を待てと言うわけ。

 

 

まー、そもそもわたし車の運転できないから要件に当てはまらないけど。泣