今日のメモ

GIDの脱病理化をどう考えるかという時に、妊娠、出産、堕胎といったフェミニズムが扱ってきたモデルが役立つかもしれない。もしくは、美容整形モデル。
クィアというワードは、もともとはヘンタイ/オネエ/BDSM/小児性愛などのラインで輸入され、日本では使われてきた。しかしそこには、男性中心主義を問う視点が欠けているため、フェミニズムをベースにしたクィアという語彙の書き換えを行うのがクィア映画祭の核にあるところ。
・ラベル・カテゴリーで場を作ろうとするときの核心にあるのは、自分のマジョリティ性を問われずに、マイノリティ体験を共有したいという欲望。しかし、そのことを前面に出して場を持つということを普通はできないので、オブラートに包んだ形で言うことになる。例えば「女」で集まりたいという時には、異性愛で日本人で日本国籍をもつ、(一昔前なら)結婚していて妊娠・出産経験のある「女」を指していただろう。