ミスコンになぜ反対するか

自業自得なのだが、ミスコンについて人前で話さなければならないので、最近人と話したり本読んだりで、考えたことをつらつらと。

まず、一連の運動になぜ関わることになったか。それを話すには、10月頭までさかのぼらなければならない。今となっては色々なことが起こりすぎて、思考があの時とは全く違うところまで来ている。違う、というか前進したというべきなのかな。そう思いたい。
京大でミスコンがあると聞いて、即座に「ああわたしの居場所が侵食される」と感じた。女性差別に反対、と日々言いながら、「わたしの目の届く場所ではやってほしくない」というのは矛盾したものに聞こえるだろうし、事実自分でもそのことは分かっていた。でも、現実に、最初に感じたのはそれだった。

以下がわたしの、KGCについて知った時の最初の反応。(笑)

11月1日
KGC@kgc_girlsrunner
【京大No.1オシャレガールを決めに来ませんか?】京大No.1オシャレガールは当日の観覧者による投票により、決定します!ぜひ当日会場に来て、KGCガールズを生で見て、あなたが最もオシャレだと思う女の子に投票しましょう!

11月1日
@casserole_party
またアホなことを…ミスコンと何が違うんだ?


そしてもう一つの理由としては、ジェンダーフェミニズムについてアカデミズムにおいてのみ触れてきた自分が信用できなくなっていて、こういう運動をやってこそ何か学べるのではないかというようなある種の「期待」でもあった。

こう言ってしまうと、わたしの動機は本当にくだらなくて、ミスコン擁護をするひとたちに「そんな理由で反対するとは自分勝手にもほどがある」と言われたとしても、スミマセンとあやまりそうになるぐらいだ。

しかももう一つ付け加えると、わたしはジェンダーという概念に出会って、女性差別とか性別二元論とか男女という制度とか、そういうことを言い始めてからずっと、周りからチクチクと言われ続けていることがあった。
それがこれ。「フェミニストなのにアイドルが好きなの?」

11月5日
@casserole_party
とりあえず今考えてることを書きとめようと思うんだけれど、上手くまとまらない。ミスコン嫌な自分とアイドル好きなわたしの葛藤がまた始まりましたw たぶん自分も否応なく眼差される対象になるというリアリティが不快感を増してると思われる。リアリティから来る、何かしないといけないという焦り。


これに対する明確な答えがずっとできなくて、なんとかしてその答えを自分で見つけ出したいと思った。これが3つ目の理由。なおさら、「個人的な理由でイベントつぶすんじゃねぇよ」というバッシングがとんできそうだが、事実そう思っていたので正直に書くことにします。



そして、結果やってみてどうだったか?
と言いますと。

色々見えたことも、分からないままのこともある。

まずはやっぱり、嫌なことを嫌だと声を上げることの重要性。もし「人たち」のメンバーがいなければ、わたしはたぶん反対の声を上げることはできなかっただろう。きっと一人で「なんとなく、嫌だな」を抱え込んだまま時間が過ぎるのを待っていただろう。そしてミスコンは何事もなく行われ、わたしのまわりの雰囲気は、もっと生きづらいものになっていただろう。
だって、今だって、わたしは「ミスコンが嫌だ」ってことを、大多数の知り合いに言えずにいるのだ。それはわたしの思っていることが道徳的に間違っているからではなくて、単に少数派の意見だからだ。

そして京大で反対するということの意味。京大はエリートばっかりの場所で、そこは頭脳に関してみんな対等なんだから女性差別なんてないよという風に思ってる人が多い。性差別的状況は、ここでは不可視化されている。
でも実際はそうじゃないのだ。いちいち言及しないけれど、学内での性犯罪は絶えないし、そもそも学生の人数比を見たって非対称は明らかだ。
(ただ、もちろん反対する時の論理として、「京大のような頭のいい人たちがミスコンなんて」と言うかどうかはまた別の論点。)