医療と女性



では、我々は女性としてどのように「病気」なのか?医療制度への女性の依存のどこまでが生理的必然で、どこまでが社会的策略なのか?医学のイデオロギーに対する女性の拒絶と、医療技術への現実の依存との間には矛盾がある。
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困るのは、女性が何を言おうと、それが女性に不利なように利用されかねず、実際に利用されてしまうことである。
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女性の体には「正解」はない。「女性の本性」とは本当は何なのか理解する方法がないように、性差別的社会での、女性の「本当」のニーズ、「本当」の強さや弱さを断定する方法はない。我々が自分についてもっている唯一のイメージは、圧政的な社会が我々に投げつけたイメージだけだというのに、どうして「自分を知る」ことなどできようか?
女性が創造するものが「下位文化」でしかないならば、それがどんなものであろうと、その「下位文化」の中で女性が自分自身の体を受け入れることは不可能である。なぜなら、結局は体の問題でも、生物学の問題でもなく、あらゆる点で女性に影響を及ぼす権力の問題なのだから。
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女性に対する差別は生物学的にではなく、社会的に規定されていることを理解するーこれが我々にとって最も根本的な開放を約束するフェミニスト的識見である。この理解に基づいて行動することは、単に「我々自身の体を管理」する権利を要求するにとどまらない。それは女性に入手可能な社会の選択肢を管理する権利、そして現在これらの選択肢を決定している社会の諸制度を管理する権利を要求し、そのために戦うことなのである。

B.エーレンライク, D.イングリシュ, 1996『魔女・産婆・看護婦』