写真撮影に関して考えた断片

ハラスメントについて
・ハラスメントとは、不当な暴力のことである。
・多くの場合非対称な権力関係に基づいている。
・多くの場合男女という制度の上にのった非対称な権力関係に基づいている。
・Aという行為をされて、イヤだと感じたからと言って、Aが必ずしもハラスメントに当たるとは限らない。
・ある行為がハラスメントであるかどうかは、客観的な検討が必要である。
・客観的な検討を行うと、被害者(と主張する人)に事実関係を確認することとなり、そこで二次加害がおきるという主張がある。確かに、二次加害は起きうる。でも、事実関係の客観的検討は必要(その際、二次加害の程度が最小になるよう、配慮するのは当然のこと)。

写真撮影について
・写真撮影全般が暴力的だと言うことはできない。あまりにも乱暴な議論。
・個別の事例、文脈に基づいて暴力かどうかは判断すべき。
・写真撮影が暴力性を孕む事がある、には同意。
・今回の場合、過去に既にハラスメントが起きていること、人が多く暗いライブハウスでは性暴力の可能性が大いに想像できることから、暴力的に写真撮影が使われる可能性があるという主張には同意。具体的には、盗撮のこと。
・そこでどんな規制をすべきか、あるいはすべきではないかについては、人によって色々分かれるかも。
・写真撮影が暴力性を孕むことがあるから、そもそも写真は禁止にしたいという意見には共感はするが、必ずしも同意ではない。その場がどういう場所かによると思う。今回は時間がなかったので禁止(に近い措置)を取ったが、そのこと自体には賛成。
・撮った写真をどのように消費されるか分からないから、写真を撮らないでほしいという意見は共感はするが、同意はしない。心の中で性的に消費されてもそれを罰することはできないし、性的に消費すること自体がジェンダー規範、構造として内面化されていることも多いから、責めても何も変わらない。
・規制するよりも、なぜダメか、なぜイヤかを共有することで、より良い場を作る方向性を志向したい。

今回の事例について
・写真が暴力的かどうか云々以前に、ルール違反なのでアウト。
・事前会議が抑圧的だった、という意見には同意できない。自分の意見が通らなかった、または自分が少数派だったからという理由で「抑圧的」という主張は無理がある。
・議論を尽くしていなかった、という可能性はあるが、再度の会議を提案するなどの方向性もあったはず。