郵便局には悪いけど、年賀状は来ないほうが心の平穏を保てる
一番年賀状を書いていた時がたぶん小中学生の頃。好きな人に住所を聞いて、年賀状のメッセージに何を書くかに延々頭を悩ませていたあの頃…わたしかわいかったなー。
大学生になって下宿生活が始まると、新しい住所をあまり周りに知らせなかったこともあってますます年賀状が来なくなったし自分も書かなくなった。
そして、今年1月1日に来たわたし宛の年賀状は、嵐のファンクラブからの年賀状、ただ1枚だったwww
両親宛に届く年賀状には、家族写真が載っていたり子どもや孫が生まれたという報告、子どもが有名大学に進学したという報告、子どもが結婚したという報告なんかが書き添えられている。
それを見て両親は、うらやましそうな様子を見せる。わたしや妹に対して、恋愛や結婚、出産を促すような言葉をかけてくる。
年賀状がもし日本の家族規範を強化するだけのものなら、年賀状なんて来ないほうがいい。年賀状にはマジョリティの考えるスタンダードな家族像が投影されている。それに沿えない自分は少数派であること、社会から祝福されないことをひしひしと感じさせられる。
まあ、年賀状でされていたような近況報告の場はFacebookみたいなSNSに移りつつあるので、年賀状が来なくなったところで特に状況はよくならないんだけどな。
嫌いで嫌いで嫌いで好きで
わたしにとって文章を書くという行為は、いろんな意味を持ってきた。
中高生の頃は、ブログに中身のない文章を書いて、書くという行為によって癒されていた。自分の書いた下手な文章が好きだった。自分の文章がうまいと思ったことはないけど、自分の文章を読み直して自分の感情の動きをなぞるのが好きだった。
大学に入ってもしばらく、ブログに思いの丈をこぼす行為は続いた。でもそのうち苦痛になった。学術的な文章を書く訓練をしてこなかったから、自分の思うように論文やレポートが書けずとてもつらくなった。本来なら、レポートひとつひとつに真面目に取り組んでそのスキルを磨けばよかったんだと思う。でも、特に指導してもらえる環境もなく、ただ締切に追われてレポートを書き、単位をゲットしたらそれで満足するという日々が続いた。日記のような軽い文章を書くこと自体が億劫になった。自分の書いた文章の稚拙さばかりが気になってしまうようになった。
大学院に流れで進学してしまい、書くことへの苦手意識は決定的なものとなった。自分のもやもやとした問題意識を文章化していく、その格闘の時間にわたしは耐えられなかった。本当は、その格闘こそが必要な時間だったのだろうと今では思うけれど、当時は自分の力のなさに絶望してしまい、前向きに取り組むことができなかった。
就職して、また書きたいなという意欲が少し戻ったけど、自分の文章を読むと、なんでもない文章でも最初に「下手だなあ」と思ってしまう自分がいて、つらい。他の人の文章に対しては、別にそんな評価をせず読むことができるのに、自分の文章に対しては、できない。でも、やっぱり書くことでどこか心がほっとするわたしもいる。
「おかえり」と「ただいま」
4月から社会人になりました。(25歳だけど。ちょい遠回りしました)
わたしの部署はけっこう外回りの多い仕事なのですが。外に出る時、教育係の先輩(一回り上で1歳児の父)が必ず「いってらっしゃい」と言ってくれるので、「いってきます」と言って出る。これはわかる。
しかし、自分が帰ってきた時先輩から「おかえりー」と言われると、「ただいまー」と言っていいのか迷う。先輩に対して「ただいま」ってちょっとくだけすぎかな?と思っちゃうんだよね。最初の頃は返しに窮して「ただいま帰りました~」なんて言ってたんだけど、最近は「ただいま~」と言っちゃうようになった。なんだか家族みたいで、ちょっとだけ距離が縮む感じで「おかえり」と「ただいま」に実はドキドキしたりして。先輩が帰ってきた時に「おかえりなさい」と言って「ただいま」って言ってもらうのも好き。要は、教育係の先輩がけっこう好きっていう話でした(笑)。
まじめな話、こういうちょっとした声掛けがあると、そこから続けて「外回り中こんなことがあったんですよ~」なんて打ち明け話や相談もしやすい雰囲気になって良いなと思う。わたしも後輩や同僚に「おかえりなさい」「どうだった?」って声かけができる余裕と思いやりがある人でありたい。
所在ないんだよなあ。
五連休なので京都に遊びにきたよ。
大学時代を京都で過ごしたので知り合いもちらほらいるし、彼氏も京都にいるのでってことで。しかし、連休2日目にして彼氏が出張で旅立ってしまうという悲劇。彼氏がいない彼氏の部屋にこんな長く滞在するのは初めてかもしれない。テレビもないのであまりに所在なく彼氏のiPadでブログを書く始末(なう)。
部屋の主がいない間に、色々と掃除などしてしまいました。キッチン、トイレ、風呂、洗濯機などなど。自分もそんな家事をちゃんとやる方ではないけど、彼ぴっぴにはもう少し頑張って欲しいなと思う今日この頃。でも、親からやり方を教わったことがないみたいだからしょうがないのかもしれない(彼氏の親に対しては、もうちょっと教えてもよかったんじゃない?男の子だからって何もできなくていい訳じゃないですよ?と心の中で思ったりするのですが←一生言えない)。わたしの家事スキルも、母親にチクチク言われた成果みたいなもんだから。
かく言うわたしも、実家に戻った今は何かと母親にチクチク指導を入れられる日々です。母親の長年の家事スキルの蓄積は半端じゃないのでちゃんと学んでおかねば。
高校の同級生と会った話
ついこの前、高校時代の友人3人で集まった。わたし以外の二人は既婚。一人は子どもがいる。大して気が合うわけでもないが、一応部活が一緒だったということから、マメなAちゃんが声掛けしてくれてたまに集まることがある3人なんだけれども。
仕事してる/してない、結婚してる/してない、子どもいる/いない、って、人生が分岐していく毎に疎遠になっていくってよく聞く話だけど、まさか自分もそのまんまのことを経験するとは。そのうちこういう経験をするであろうことは分かっていたけどしんどい。元々そんなに共通の話題がないだけに、もーほんとに興味の対象が違うことを痛いほど思い知らされる。
わたしは結婚という制度に対して以前から疑問を持っていて、結婚制度に疑問を持たない人とは話の出発点がまったく違う。結婚して幸せなひとや、頑張って結婚したいと思っているひとに対して、「結婚とは特権である」なんて話、しても唖然とされるだけだもん。自分の思想の問題だからしょうがないんだけど、だいたい職場の飲み会行ったらそういう話ばかりなので、もうどう切り抜けたらいいかわからないんだよなあ…
これから結婚式に招かれることも増えるだろうし、どうやって切り抜けてゆけばいいのだろうか。反婚女子は悩んでます。